2019-11-02

ISUのイニチアチブ2件とSCのOrigin


PCS採点の改善

前記事で紹介したチャンピオンシップのジャッジ抽選は毎年10月ISUのカウンシル会議開催に伴って行われるが、今回の会議で評議・決定された内容に朗報と思えるイニシアチブがあった。文書2289で決議内容の一部が公表されている。

ISU文書:ISU Communication 2289

6番目の項目にPCS採点の改善案を検討するチームが発足した、とある。イタリア、カナダ、ロシア、アメリカの4か国の代表は皆レフリー/ジャッジに加えてテクニカルコントローラーの資格を持つ。

どのような方向にゆくのだろう - ジャッジの思考と採点のパターン化など採点行為については採点する人間側の問題であり、自国贔屓に始まる各国の采配状況は採点ルールで括ることはできない。審査スポーツである限りは永遠についてまわる点であろう。ジャッジは様々な国家体制、文化・習慣をもつ国から来ている。細かく採点基準を設定したりジャッジ教育を頻繁に行い標準化を図ろうとしても限度がある。

当面は最も単純なPCSの係数変更を検討するのではないかと想像している。

現行のIJS(International Judging System)は元々はTESとPCSが半々ぐらいになるようにデザインされていた。男子FSの例ではTESはおおよそ100点位がマックスと想定し各エレメンツの基礎点を定め、それに見合わせてPCSの満点も100と設定したのであろう。

2004年から施行されているIJSは15年経ち、特に男女シングルスに顕著である高難度ジャンプの投入によってTESとPCSの均衡が破錠してしまった。エレメンツの基礎点はしばしば変更されているがPCSとのバランスを考慮せずに行ってきたために釣り合いがとれなくなってしまった。

数字の操作に限ればPCSの係数を上げるかTESの各エレメンツの基礎点を下げるか、となるが他にも解決策があるのかもしれない。5項目あるPCSを3または4項目に減らすという案もあるらしい。フィギュアスケートはアスレティシズムと芸術が統合した特殊なスポーツであり、二つの側面をプログラムにバランスよく盛り込み・演じ・採点することはこれもまた永遠に続いてゆく難題であろう。

PCSの検討会に国益がからむ訳ではないだろうが(笑)チーム発足に当たりフィギュア大国の日本の代表が入っていないのはどうした事かと思う。TC資格を持っているオフィシャルは伊、加、露、米と同じ位の人数がいるはずである。まだ始まったばかりでこれから進め方も変わっていくのかもしれないが案件を出すなり日本の連盟にできることはいくつもあるだろう。

ISUスケーティング・アワード

先週GPスケートカナダ開催中の会場でISUのプレスコンファレンスがあり、来年のモントリオール・ワールドからGalaに代わり新しい形のアワードショーを始める、と発表があった。





アワード授与式の他音楽などライブパフォーマンスがあるらしい。アワードの7つのカテゴリーは-

1 MVS
2 ベストコスチューム(スケーター)
3 ベストプログラム(スケーター)
4 新人賞
5 ベスト振付け師
6 ベストコーチ
7 ライフタイムアチーブメント賞

応援する身としては4、5、6以外は全部羽生選手になってもおかしくない(笑)気がしている。純オスカー風にするのならベストコスチュームはスケーターではなく衣装製作者を対象にした方が良いだろう。4はトルソワ選手、5はシェイリーン、6は-今季のエテリ女史はオーサーを僅差でかわしそう。7は引退した選手が対象のようでプル氏、クワン、ヴィットあたりか。ホール・オブ・フェーム(殿堂入り)とどう区別するのだろう。こちらはISUでなくアメリカの連盟がオーソリティのようで影響はなくとも意義が薄れそうな感。

そういえば日曜日のエキシビションで4年ぶり?に「パリの散歩道」をフルで演じたのはこのショーを意識していたのだろうか。

多分にショービジネスの遊び心が見え楽しそうでもある反面エンタメに走りすぎてスポーツの競技精神から遠のいてしまわない様にと思う。また途中のプロセスや受賞結果によって選手たちに思わぬ負荷がかかったり競技採点の偏向性を増長させたりしない様にとも思う。

未定ではあるがISUの将来の指針としてテクニカルプログラムとアーティスティックプログラムを分けるという本末転倒な案まで打ち出されている。技術と芸術を両方盛り込んで競う所にスポーツとしてのフィギュアスケートの難しさと醍醐味がある。競技を衰退させず、かつ競技形態を確立してゆくためには大変な忍耐と努力を要しあらゆる方向性を探りながら試行錯誤の道をすすんでゆくのかと思う。PCS採点の検討を進めると共にこうした新しいショー様式を取り入れてみることも一興であろう。

最終受賞者を決めるのはGPシリーズ開催国からの代表6人。プレスコンファレンスビデオの12:30あたりだがラボア氏は日本を言い忘れている。もや日本の影

スケートカナダのOrigin

また一つ歴史に残る演技を披露した羽生選手。いくつか軌道が変わり振付けもより綿密になった。6試合めであるが毎回新たな感動がある。

個々の技術は芸術域に達している。最高峰の技術の上に成り立っている演技はスケートでしか氷上でしか表現できないアートである。技術と芸術-どちらが欠けてもあの演技は成り立たず、あの競技結果もあり得ない。ましてや技術プログラムと芸術プログラムに分けることなどできない。別々に競技するのではフィギュアスケートの特質が失われてしまう。

大勝した翌日の一問一答は長めであった。とつとつと答える羽生選手の話にフィギュアスケートの進むべき道の指標が散りばめるように示されていると思った

フィギュアスケートは五輪スポーツになってはいても競技形態は完全に確立されてはおらず、まだこれから変遷してゆくと思われる。羽生選手は競技参加を続けながらその演技を通してフィギュアの究極の姿を見せ続けてくれるのであろう。


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