2020-03-24

弥生の時 1

WJCとWC

あまりにも多くの事柄が起きた今月- エストニアで行われた世界ジュニア選手権は遥か昔の出来事のようだ。

殺伐とした日々が続く中で、ワリエワ選手の演技と鍵山、佐藤選手の惜しかった演技が印象に残っているのは、やはり才能と実力があるからだろうか。鍵山、佐藤両選手は来季からシニアに転向するとのことで今から楽しみである。

4CCもそうだが今振り返ればよく開催できたものだ。終了から2週間が過ぎ現地に参集した人々が皆無事であるようにと思う。

モントリオール・ワールドは- 強行かと思わせたり、無観客でやるのかと思わせたり、中止しかないと思ったりでヤキモキして数日を過ごした。

想像の域を超えないが- ISUとカナダ連盟側が決裁を出さず行政機関の決定に依存したのは払い戻しや保険関係が理由なのかもしれない。特に初めて実施するスケーティング・アワード関連のロジスティクス、コーディネーションやプロダクションの負荷が大きすぎたのではないだろうか。初回から手を広げすぎた感である。マニーモンガ-たる興行師役にピッタリのザカリアン氏らが中心になって準備していたかと思われるがスポーツ競技の組織である連盟のキャパシティを超えた企画で手配してしまった巨大なイベントを前にしていざ中止または無観客実施とするに立ち往生してしたのでは、と想像していた

スケーティング・アワードの評判は全く上がらずであった。マニアックなファンでさえ喜んでいる様子は見られなかった。興奮していたのはザカリアン氏とその一派だけだったのではないかと思わせた。

試合で興味の中心は一人7分ほどの演技と採点結果である。スケーティング・アワードはGalaとバンケットのように試合に付いて回る競技に関係のない部分。何かと難のある内容だったが期待していたことが一点ある。来季のストックホルム・ワールドで再来することになればその折に綴ってみたい。

I,Tonya

COVID19のお陰で家に居る時間が増え見逃していた映画をゆっくり見ている。

オスカー受賞作品を中心に7本観れた。

Letters from Iwo Jima
The King’s Speech
The Artist
Argo
12 Years a Slave
The Shape of Water
I, Tonya

「I,Tonya」は米国のトーニャ・ハーディング元選手の物語。リリースが平昌五輪の頃で見る余裕がなかった。ハーディング氏は伊藤みどりさんについでトリプルアクセルを国際試合で成功させた史上2人目の女子選手。ケリガン襲撃事件でもその名を知られている。

エピソードが全て実話だったかどうかは分からないが今でも存続するフィギュアスケートの文化習慣が感じられ30年前はどれ程大変だったかと思った。

ハーディング氏が活躍した1990年代前半はジャッジの権威と地位は現在に比べて随分高かっただろうと想像している。フィギュア界内の上下関係ももっと厳しかっただろう。その上当時は女子選手はエレガントで優雅な演技をするものとの観念が強かった。そういった固定観念を女性自らが打ち出してしまったビット氏の「ゴムまり」発言まであった。

映画ではハーディングがジャッジに採点の説明を求めて詰め寄るシーンが2回もある。他の選手の得点が自分より高いことが不満で氷上に出ていって居並ぶジャッジに向かって詰問。吠えている。2回目は試合終了後帰路に就くジャッジを駐車場で捕まえて質問。

今はネット発達のお陰で観戦者である私たちは試合結果について、特に採点についての喜び、落胆、批評をあれこれと表現できる。また感情ベースに留まらず客観的に分析をして様々な内容を発信できる。これは現代の観戦者の特権と言える- 参戦側の選手やコーチは今も昔も公にはほとんど言わない。言いづらいのだろう。

スポーツの公用語である英語では男子・女子を「men」と「women」とする競技がほとんどであるがフィギュアスケートは「men」と「ladies」。男子も「gentlemen」とするなら一貫性はあるがスポーツにはそぐわない感。

五輪でも英語ではいまだに「ladies」であるが平昌五輪で画期的だったのは- 英語に加えて公用語である仏語で女子戦を「women」にあたる「femmes」としたことだった。ソチ五輪までは「ladies」にあたる「dames」だったのだ。

因みに英仏語両方のカナダでは国内試合の表記はノービス、ジュニア、シニアすべて「women」と「femmes」である。さすが先を進んでいるカナダ連盟。

良くも悪くも古い風習と伝統が存続しているフィギュア界で30年前ロック音楽に合わせて演技し高難度ジャンプをバンバン跳んでいた女子選手ハーディング氏は異色の存在だった。オーソリティに直接物言いをした女子選手も他にはいないだろう。

映画製作中のエピソードがある-
「3Aの撮影の折トップスケーターに頼もうと話が出たが女子で跳べるのは世界で2人しかおらずどちらも怪我を心配して承諾を得られずCGで対応した」

「2人」とは真央さんとトゥクタミシェワ選手のことだろうか。「怪我を心配」とはシーズン中だったのかもしれない。

これまでに国際大会で3Aを認定されたのは11人

1988 伊藤
1991 ハーディング
2002 中野
2002 ネリディナ
2004 浅田
2015 トゥクタミシェワ
2016 紀平
2017 ナガス
2018 リゥ
2019 コストルナヤ
2019 ユ

ハーディング氏が着氷したのは全部で4本。10年以上も跳び続けた真央さんは何本になるのだろう。リーザが試合できめたのは真央さんから10年後。その後は毎年認定が出ている。今季の紀平選手とコストルナヤ選手がUR/転倒なしで着氷した3Aはそれぞれ15本ほどにもなる。

みどりさんやハーディング氏ら先駆者たちの苦労は計り知れず一滴の水もいつしか大河になることを思わせる映画でもあった。


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