2021-09-03

東京五輪など2 モラル競争の勝者と敗者

モラル競争のメダリスト

「理解されないオリンピックになりつつある」と最大のスポンサーが言うと「理解してもらえるように」とエコーを返す主催者側。モンキービジネスかと思ったものだがそれ以上詳しい報道は出ず具体的に何かを改善したかどうかは分からない。

トヨタが既に経費が発生している日本国内でのコマーシャル放映を止めるとはよほどのことであろうと思った。小山田氏の件が直接の引き金になったかと想像した。決断は早く、その上アスリート支援は変わらず続けてゆくという言葉まで発信。

そして- 表彰台の選手がよくやるのを自分もやってみたかったのか真似ごとのようなことをした名古屋市長へも即対応.。自社社員が受けたハラスメントをキチンと指摘するコメントを出し正式に抗議文も送ったらしい。

東京五輪開催にまつわるいざこざは一般人がニュースを読むだけでも大儀だったがトヨタは当面の損失をおしても常識とモラルを優先した、と理解している。結果として世界のトヨタは更に名を上げることとなった。モラル競争で大優勝、爽快な金メダルである。

徳間書店も人権試合の勝ち企業としてメダルを獲得したと思う。こちらも対応が早かった。

こうして名の通った企業がスパッと行動してくれると有難い。他の企業・団体組織や個人の良心を触発し後に続こうとする者の模範となり勇気を与えてくれる。簡潔、迅速な行動だったが与えるインパクトは大きい。

人権、人道に敏感な企業や団体は少なくはない。欧州はモラルの支柱にもなり得るEUがあり北米の多くの企業は壮大なミッションステートメントを掲げている。しかしいざ大小様々な局面での対応となるとそう簡単にはゆかない。多民族・多言語環境や訴訟社会にあっては種々の配慮が必要になったり何事も弁護士に相談してから等となり色々な事象にあたり行動を起こすのは容易ではない。

今回のトヨタは運営組織のオペレーションに対してと一個人への処遇に対して同様の熱量で注力・対処したように見えた。簡潔でも要点ははずさず的確にリーダーシップを発揮する企業の姿が顕れたことは五輪開催を取り巻く暗雲の中に差し込む一筋の希望の光のようであった。

モラル競争の敗者

モノやサービスを売る経済機能・機構を研究し極めてきた民間企業にとって人道に貢献し人々に幸福をもたらすことが究極的な目的、最終ゴールとなることは自然な成り行きと思われる。

企業機構を長年にわたり忍耐強く築き多国籍企業として発展してゆく過程でその理念も磨かれ人権に反するような事象を即それと見極め無駄なく的確に対処できる能力も自ずと培われてきたのであろう。

しかし政治の世界では- 人権意識を持つことは難しいようだ。トヨタや徳間書店に追いつくどころか自ら倫理規範に違反するような行為が続いている。

例えば- 徳間書店の件はテニスの大坂選手関連だったが、失言ですでに五輪組織委員会の会長役を辞めている元首相が大坂選手が務めた聖火ランナーの最終走者の人事についても差別発言をしていたことが報道された。

大坂選手は成人して日本国籍を選択した。二重国籍の規則は国によって違うようだが大坂選手の場合は成人した段階で米国か日本かどちらかの国籍を選ばなければならなかったと思われる。

昨年亡くなったフィギュアスケートのクリス・リード氏もそうだが生まれも育ちも米国で20才前後の若者が日本と米国を比べて自由の国しかも慣れ親しんできた文化習慣よりも日本を選ぶのはどの様な心情かと思う。いつでも行き来できるのであまり重要視しないのかもしれない。同じような境遇の友人に聞いてみたいと思いながらいつも忘れている。

大坂選手が日本人として生きてゆくことを決めたのは東京五輪を見据えてのことだったのかもしれないが元首相が「純粋な日本人」を推していたという話を聞いてしまい日本人になったことを後悔していないかと気になった。エリートアスリートとして世界で活躍する大坂選手にとっては国籍はそれほど意識する問題でもなく旧石器時代の言葉など全く関知しないのかもしれない。

「純粋な日本人」などという言い方をできる国は先進国ではあまりない。今時血筋にこだわりそれを五輪の人選に関して公言すること自体が信じがたい。しかももと国家元首である。五輪出場は人種や血統ではなく国籍の如何で決まる訳で日本国籍を持っている以上どのアスリートも皆平等である。

6月にG7サミットが英国コーンウォールで行われG7国(米国、英国、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本)に加えて4カ国(オーストラリア、インド、韓国、南アフリカ)が招待された様子である。日本以外の10国で「我が国の純粋な○○人」と表現できるような国はないだろう。そもそもそういったコンセプトが存在しない。「純粋血統のアメリカ人」「南アフリカの純粋血筋の国民」など定義不可能なのだ。広大な国土に確か200近い多民族をかかえるロシアもまたしかりである。

英国の王室内には婚姻関係などの規則があると思われる。日本の皇室も同様か。しかし人類の祭典五輪の計画、実行・運営の局面で平然と「英国血統をもつ人物を起用しよう」などと言い出すとはまず考えられない。仮にそんな心情があったとしても公言することはないだろう。仮に口が滑ってしまったとしても英国のメディアから即座に追及されるだろう。日本のメディアのように論調なしで面白がって報道するだけということはまずないと思われる。

日本の政界にはこういった習慣、ごく自然に差別行為に走る習慣がはびこっているのかと想像している。この元首相は昔から失言がよく知られていて同じ様なことを繰り返しているのは自意識もほとんどないのかと思わせる。指導者層が反人道的な言動を続けると世間も次第に慣らされて徐々に人々の人権意識を蝕んでゆくのではとも懸念された。

情報の増幅、拡散の弊害も気になった。一連の人事問題で報道に出た小山田氏の過去の行為はどう見ても犯罪であり、それを「いじめ」と称する所にメディアの影響力と大衆意識の問題がうかがえた。

代表らの発言に加えて人選采配の問題まであらわになった五輪主催組織の人権競争におけるランク付けは- 11位でも30位でもない。違反行為で出場失格となり試合参加できずに退場といった所だろう。

ハイテク、復興などで売りに出た東京2020。コロナ禍で本来予定していた見せたい内容を実施できなかった側面もあるだろう。見せたかった美しい日本の姿、東京の魅力に代わって人権後進国日本の実情が五輪開催によって期せずして世界中に知られることとなってしまった。

辞任と解任

五輪開幕前までに小田山、小林両氏をはじめ主催組織の人員が何人も去っていった。両氏の過去の行為そのものと主催組織の人事対応の内容は英文となり主要メディアやウィキに乗って世界中に拡散してしまった。

人道倫理に関して日本が遅れている様子はこれまで見え隠れしていた訳だが東京五輪で明らかになった内容は国際社会を心配させたのではないだろうか。去った人々の過去の人権侵害の言動そのものもさることながら、その対応、処理行為が日本を人権後進国というより危険国ではないかと思わせた。

小山田氏の件で言えば- 刑法、少年法の詳細は分からないが当時の学校、保護者ら大人たちが警察沙汰にしないように計らったと想像される。人生に傷がつかないようにと考えたのかもしれないが未成年時代に罪を理解し償い更生する機会を奪ってしまったといえるだろう。裁かれることのなかった罪を持つ人物が世界最大のイベント役員になってしまった。氏にしてみれば人生後半となりこの機に及んで数十年前の行為が世界中に知られることとなり服することのなかった刑を心に一生背負ってゆくこととなったのではないだろうか。

数十年前とはいえ、教育機関内で起きたあれほどの犯罪行為が刑事事件として表ざたにならず裁かれずに済ませた大人たちの作っている環境、社会構造、社会意識が人権危険国である印とみられる。宗教、イデオロギー、政治システムの違いに関わらず犯罪は世界どの国でも起こりえるが、ほとんどの国は法治国家として犯罪に対応するシステムが機能しているのである。システムはあってもそれを機能させないような力が簡単に働きうる国なのかと思わせる。

そして五輪主催者組織の最初のリアクション「続投させる」も同様に赤信号。たとえ氏の過去の行状を最初は「知らなかった」事が真実だとしても一度知ったならば即刻解任するのが標準であろう。それを「続投」とした所に国や組織体が償われていない非人道的な行いを容認、擁護する行為が見え慣習化しているのではないかと思わせた。個人ではなく組織レベルで人権侵害を容赦したとみられてしまい日本の指導者たちは思想的に大戦時から変わっていないのではと危ぶまれる。

解任ではなく辞任という結末となったのは後ろ盾となるよほどの権力者がついていたと想像される。伝統芸能の世界はほとんど世襲制と思われるがいわゆる芸能界も2代目、3代目の活躍する場となってきているのだろうか。虚栄と驕りがはびこり人道意識の入る余地などなくなっているのかもしれない。五輪の役員に抜擢されるまでの過程で発動した人脈に人権意識ゼロの世界が潜んでいるのだろう。

平和の祭典

北京五輪が迫るにつれてウイグル関連で人権問題がよりクローズアップされてゆくだろう。欧州と米国では選手は送っても外交関係者は送らない指針などが出ている。経済制裁もすでに実行している。

中近東の情勢と相まって次第に緊張感が高まっている中、駐日米大使にエマニュエル氏が推薦された。元大統領の側近、シカゴ市長など政府機構を地方自治体から連邦レベルまで経験した人物。ユダヤ人である。賛否両論ある様でも赴任は決まると思われる。

アメリカの外務関係人事のしくみは日本と随分違うようだ。日本は国家試験をパスしたエリート中のエリートが大使や領事に就くが米国では官僚だけではなく実務経験のある人々が国会で任命され各国に赴任することもある。エマニュエル氏の来日は中国対応への布石だろうか。日本の新首相とどう対峙してゆくか興味ある所。

人権意識が高いと言われているいわゆる「欧米諸国」は過去に散々な歴史を体現してきていることが起因となって現在の姿がある。これまで人道に反したことがなかった訳ではなく過去の過ちから立ち直り、立ち上がり、試行錯誤しながら人間の尊厳を守る環境を地道に創り上げてきている。

人道分野にそれ程は注力してこなかった日本と他の先進国との差は随分開いてしまったようだが日本はダメなことばかりではないことも今回分かった。東京五輪のお陰で女性や子供を守ろうとする動きや様々な団体の誠心のフォーラムがあることも少し見えてきた。

平昌、東京、北京とアジア開催が続き巨大産業と化した五輪の姿がくっきりと見えている。政治と経済が司る祭典となりスポーツとアスリートは従属的な存在になってしまった側面も見える。

複数スポーツの競技会を4年に一度一か所で2週間かけて開催するというイベントコーディネートが主体であるIOCにビジネスマンとしての手腕を買われて就任した現会長の下では商業営利面が強調されても仕方がないのかとも思う。

どうしたら可能か見当もつかないが- 今は五輪が「平和の祭典」として何とか蘇生できるように願っている。

今回はカタイ内容となり最後まで読んでくださった方々に感謝申し上げたい。


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ご訪問ありがとうございます。

皆さま引き続きご健康で無事に過ごされますように。







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